2007年 01月 25日
見ている間も、見終わったしばらくも下品なセイシュン映画かと思っていた。でも時間がたって日にちがかわるころ、あのメキシコの風景、薄手の洋服、馬鹿笑いがわきあがってくるのだった。ルイサは本当に魅力的なのかもしれない。考え深げで知的そうなところ(ただし考え始めたのはきっとつい最近だと思えるところもあやうくて素敵)、だんだんと奔放に、強くなっていくところ。最後は母のようだった。それと対照的なのがひよこみたいな二人の男の子で、これまでの全能っぷりからラストシーンとの落差に、自分が相対化されていく過程をまざまざと思い知らされた。ああ、その感覚ならば私たちも知っている。残念だけれど。だけどそれは一直線に落ちていくものではなくて、ルイサのように、突発的に(ある事件によって)違う世界に飛んでいくことだってありうるのだ。その結果の、強さと大きさなんだとすると、それを日常でつかむにはどうしたらいいのだろうか。日本の景色は中庸すぎるのかもしれないや。
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by yamadayukiy
| 2007-01-25 23:28
| 見たもの
2007年 01月 23日
ポール・ハギスというひとの映画。みた直後のメモ転記。 ひとを殺すには幼稚な感情、怒りとか、苛つきとか、なのに銃があることで衝突が致命的になってしまって、途方にくれてた。少しのすれ違い。ですんだらいいのに。言葉だけ、態度だけでもいつも荘思うのに。 銃があるからお互いがこわいのだ。みんなにあるから抜けられない。守るものがあって、でも閉じた輪のなかで、お互い警戒しながらくらしてる。どっちか先にやったほうが、少なくとも生き残る(こころの傷はべつとして)。 だけど非常事態にはひとはひとを助けたいのだ。理屈や常識や差別をこえて。でも非常事態にならないと気づかない。ばかばかしい・・・けどほんとのことなのかも。だとしたら?おおきすぎて、答えなんかでないけれど、信じられたらいいなあと思う。 #
by yamadayukiy
| 2007-01-23 00:06
| 見たもの
2007年 01月 20日
朝、9時過ぎに東西線南砂町の駅を出たら、明るくてびっくりした。前日遅くまで仕事をしていたから、家から最寄り駅までちゃんと陽を浴びたはずなのに、夜な気がしていたからだ。夕方、5時前に千代田線乃木坂で降りて、防空壕みたいな出口3から出たら、薄暗く夕暮れで、それは久しぶりな感じがした。暗いのに驚いた。 今年の冬はあたたかいので、もう春みたいな感じで油断している。冬だけ、空間が半分になる。春夏秋は、身体的に、自由に(防寒の考えや苦痛なしに)外にいられる。外にいる、ということは、誰かと何かと出会う可能性がある、ということ。常にものがみえる、ひとがみえる、何もしなくても。中にいる、ときは絶対に誰にも会わない。だから冬の独り暮らしはきっとつらかろうと思う。ロシアの小説を読んだときもそう思った。だから、中にいてもいい、外にいてもいい、冬以外の季節のほうが気がらく。相変わらず冬もすきなのだけれど。 #
by yamadayukiy
| 2007-01-20 12:41
2007年 01月 20日
2007年 01月 16日
考えるヒマなどないほど浴びることだ! 1月1日午前0時を起点として。 真夜中ヤジキタ、the terminal、鉄コン筋クリート、クラッシュ、 bonobos、i am robot and proud、beatlesカバー、cure jazz、無限の音楽ラックから。 ポールオースター、いしいしんじ東京夜話、獅子文六、などなど。 ジェイソンテラオカ@原美術館、宮島作品が圧倒的、 陽光、御殿山の道。 それからなによりも上海。 考えるヒマなどないくらい、浴びること。 #
by yamadayukiy
| 2007-01-16 00:13
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