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2008年 10月 05日
・香港と上海から帰って以来、そわそわと落ち着かない。ここにいたいんだっけ?という気持ちが強くなっている。英語をはなせなくなったことを、初めてかなしいと思った。中国語の文法をもはや覚えていないことも、もったいないと思った。一方で、仕事への姿勢も変わった。細かい点に入り込んでいくようだったやり方が、大きな波のようにざーっとなぞるようになった(いい面もわるい面もきっとある)。私たちはいる場所を選べるんだったと、ウォン・カーウァイの欲望の翼を見て思った。留学する友達を横目に見ていたときのような、あるいは就職活動をするときのような気分。 ・鎌倉、江ノ島、横浜。東京から1時間の距離だけど、やっぱり別の暮らし方があった。私のいま抱えているここに飽きちゃった気持ちは、日本に対してじゃなくて東京に対しての気持ちみたいだ。 ・帰ってきてから、とても新鮮。高校卒業以来はじめて運動したいと思ったし、場所に対しても貪欲になっているみたい。ぶらぶらすることだって、たのしい。わざわざ海外に行かないと思い出せなかったのかな?と不満だけど、それでもうれしいことだ。
2007年 11月 20日
マイアイドルが主役をやることになったので、「人のセックスを笑うな」をブックオフで立ち読みした。20分程で読了。前に読んだ時もそれくらいでナナメ読みした。前に読んだときは、何も思わなかったけれど、今回はちょっと残ってしまった。それで今日、もういちどブックオフに行って買った。 主人公の男の子は、明らかに幼い。考え方(「・・・というふうにあるべき。」とか「筋肉をつけたいと思っていたがいまはゆがみたい」とか。)。ひねていて、まっすぐで、土をはねのけようとする芽のようだ。私たちも、同じ空気のなかにいたことがあった。そう書くと年取ったみたいだけど、私だってもう26なのである。経験値は、いやおうなしに増している、ある意味残念だけれど。強くなっている。主人公を、カワイイな、と思う時点で、ちょっとやばいのである。 先日、大学に入りたてで仲良くなった子と1年ぶりくらいに会って飲んだのだけど、最初、8年経ってることに勝手にどぎまぎして私はビールをばかばか飲んだ。男の子と女の子がふたりで会うことの意味が、彼にとっては私のそれと違うようになったかもしれないし(だとしたら意味ができちゃってじゃっかん大変)、18の私を知っている彼が今の私を見たら、もしかしたら何か変わってるかもしれなくて、がっかりされたら残念、とか。もちろん逆もあっただろう。 結果的に、まあ距離的にも離れて、間に会わない1年とか2年とかあれば、毎日会ってた頃に比べて月日が飛ぶようなのは当たり前だよねと思ったし、それでもお互いにやっぱりいいやつだな(一言で言っちゃえばね)と実感できるのは奇跡だなと思った。確かに、そう思えた。多分、向こうもそうだったと思う。会ってよかった。さいきん奇跡にあっていなかったので、とても大事なできごと。 話は戻って本の話で、主人公の男の子を自分のように思った。今から振り返ってみる、20そこそこの自分。思った以上に感情的でなく、浅はかでなく、でも今から見ると全然深くない。その深くない、というのが、実は物事をあきらめたりテキトウに切りすてたりしていない、ということでもあるようで、私は、私のなかに、そこで止まっている部分があればとても素敵だなと思った。そして彼の目が切り取る風景にしたしみを感じた。意外や意外、これはもういちどくらい、大切に読むかもしれないな。 2007年 11月 19日
少し前のことになるけれど、友達のコンサートに行った。コンサートはとても素敵で、好き嫌いのツボをぎゅっと押されるという感じではないけれどたのしくて、自分も体験したことのある(過去形じゃないな、今もあると思う)みんなで何かをつくるということ、夜も眠らないこと、その準備期間中は離れていてもずっと一緒にいるような気持ちでいること(ハチクロを思い出すなあ、なんか)、そういう感覚がじわじわと来た。友達のうたも、初めて聴いたのだけれど、彼女自身が出ていて、とってもとてもよかった。が、最後。ピアノとサンシンで島唄を演りはじめてエイサー団が出てきて、そこでもう私はダメになってしまった。 島唄について、私はねじれた感想を持っている。沖縄の人間じゃない宮沢さんが作った歌が、沖縄の歌としてどんな歌よりも有名になってしまった皮肉。宮沢さんはサンバもやっている。「魂までコピーすればそれはもうコピーじゃない」という言葉に後押しされた、と宮沢さんは言っていたそうだ。その魂をコピーすること、それ以前に、コピーする対象を、ものを作り出せる根底から感じ取れることが、宮沢さんが一流の音楽家なんだということだと思う。つべこべなくそうなんだ。 そんなことをまた思い出していたら、エイサー団の太鼓と掛け声が響いて、その後はもうなくまいとするのに必死だった。「ナビィの恋」を見たときも同じで、ひるまの明るい自分の部屋で、号泣したんだった。メロディだって、歌うひとたちだって、暗くはない。でも本気の沖縄音階が、ダメなのだ。それが背負ったものにやられるのだろうか。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。考えとか知識とか飛んでしまって、ただただ屈服するのみ。ドーン、ドーン、という太鼓の振動に揺られて、私はたのしそうなステージ上の人々を見ながら、喉の奥から出てこようとするものをおさえた。 そんなこんなで一曲終わり、行ったことがなくて、いく必要もない観光地だと思っていた、沖縄に行ってみた方がいいなと思った。寒くなり始めた秋の、友達のコンサートの夜にこんなことが起きるなんて。へんなこともあるものだ。 ただ、そういう風に、いるべき場所が流れていく事だってきっとあるのだろうと想像する。その夜に私に起きたようなことが、もっと地割れのように大きく、起きるのだろうか。ささやかにじんわりと、でも必然性をもって起きることも、あるんだろうか。私にまだ、その経験はなく、両親の都合によってだけ、移動してきて、成長してそのまま東京にいる。いつかそのときがきたら、とまどってもいいから逆らわずに、やってみたい。そもそも、それをちゃんと感じ取れるままでいたいと思っている。 写真は三崎。この島のはじっこのひとつ。
2007年 09月 26日
祝日、築地、横断歩道を渡っているときに「おっ」と気がついたことを町田康がしれっと書いていた・そのこと自体が町田康が言っていたことだったのかも/本を3日で一冊くらい読んでいる・ふたつまえの3連休にいしいしんじさんの講演を聞いてから/思想書と小説の読み方の違いにようやく気づいた。時間をすごすことと読書をすることは同義だった。冊数を数える達成感が知らず知らずのうちに目的になったのかも、でも小説はそれでも流れ込んでくるから/感情移入の猛特訓をやっていたともいえる?/ふと、シーンごと、読む、手元において、開いた頁を繰り返す、気に入った本はそんな読み方をしていた/忘れないから早くたくさん読めたのだった/意味がわかるまで一行を繰り返す/そういう読み方をしたって損はするまいよ、と思うようになった・時は流れるね。 とおくインドと交信しつつ飛び去るまいにち。 # by yamadayukiy | 2007-09-26 22:34
2007年 05月 28日
(travis))) あたらしいアルバムの中でいちばんよい曲だ。いろんなレビューでもかかれているが、どうにもこうにも普通のうたなのだ。なのにどうしてこんな単純にわしわしとつかまれるのだろう。毎日まいにち、頭は複雑のなかに隠れた一本とおったなにかを探そうとするけれど。目は複雑のおくの奥をみようとするけれど。できるだけたくさんものを綜合してよりあわせようとするのだけれど。理解する必要はなくって、できるだけゆれうごくことが必要なのかもしれない。ゆれたさきにある、判断や実感や反応や、会話や。その積み重ね。話さなくたって、優しい人はみればわかる。だから話すことを焦らない。話させるように押さない。そういう開き直りが、この年の功なのさ。こういうシンプルな優しさみたいなものが一番強いのだと私は思うから、それはそれでよいのかもね。考えることと、存在することは別枠。声がおおきいひとが勝ちではないのだ、と念を押す。 それにしてもこのひとの歌い方は、普通なようで、どうにもまねできない。ゆれるようで、声そのものはとてもまっすぐ。一方で、my eyesというこの歌は、誰が歌っても、そのひとの歌になる。たとえば誰も聴いてない、私の小さな鼻歌だって。誰かのためでも、誰かのためでなくても。すごいことだ。 最近アイドルがたくさんいるのでとても幸せ。こういうのは高校生以来みたい。mikaにもどきどき。強くて美しくてはじけていて、だけどとても優しい感じがするのだよなあ。アーティストでないひとたちは、こういう優しさや気づいたことを、どうやって表出したらよいのでしょう。それが知りたいこと。ポートレイトだけの写真集をまいにち見ていた頃からのおはなし。 2007年 05月 26日
久々にビジュアルヒット★ボーカルのひとは口が大きいところとか細長いところとか、本当に美しいわぁ。なにより服装がステキすぎる。顔はすこし田辺誠一のようだ。目が澄んでいる。パンクなポーグス?踊りまくれる。スコットランド訛り?にしても少年にうまれたかったなあ。まずは服をかいにいこう。 larrikin love 'happy as annie' 'downing street kindling' (解散?ざんねん。) 2007年 05月 23日
渋谷区東4にて。隈氏の賃貸住宅。モザイクタイルがイカのような半透明でやばし。イカ以外の色は焦げ茶。館銘はイカに焦げ茶と金を使っていてイスラムちっく。このシャープさでこういうふうに少し凝った/偏ったところがあるというのは好みのバランス。衝突防止シールも!!!外形線のシャープな線は安全とかメンテナンスとかコストとか色々切り捨てているのだろうか。気にしすぎなのだろうか。商業施設に比して住宅は不特定多数が使うわけではないので、使うひとがわかっていればいいじゃん、という話だと思うのだけど、近年過保護。難しいので色んなひとの意見をきいてまわっている次第。タイルがぼろぼろになっていくような感じ、うちの物件ではとてもできないのだろう。すきなのだがなー。話は戻ってこの建物、中はBALSプロデュースとのこと。3パターン。箱だけくれたらいいけどな。 ![]() ![]() ![]() あるマンションの窓から見たら、想像できないくらい緑の多い地域であることがわかって感動した。東京モザイクタイル・水タバコツアーをしよう。 2007年 05月 21日
travisばかり聴いていた。美しいシーンやものやひとがしぬほど(比喩でなく、死ぬのがもったいないという意味で)取りのがしたくない場合はどうしたらよいのでしょう?色んなひとやものを思い浮かべると、ある一定の取り込み方は全方位的には無理だ。仕方ない。どうしよう。夕方の、真昼から飲んで出がけにみた三日月と星のセットとか。ゆうがけにクルマをあらうガレージの発光とか。ひとの目のちからとか。と、自分の手の匂いに、きょうつくった料理やいろいろを思い出す。小学生のときの仮説のとおり、時間というものは平行線なのだろうか?(そう、すくなくとも会わなくたって同じ時間が流れていることは、さみしいしびっくりすることだけれど安心なことだ)全部をてにいれることは到底無理なのだけど、あるスタンスで手に入れることはできるのかもしれない。よくばりだ。(写真はいちねんまえ) ![]() 2007年 02月 04日
RIZE / ロサンゼルスのブラックコミュニティのダンスドキュメンタリー。すごい。ハッピーなだけではない(むしろ負の)エネルギーを、捻じ曲げてダンスに昇華する。それが日常。身体能力。ダンスの才能は生まれながら備わってるんだ、と。 アイデン&ティティ / ミネタ氏がかわいい。ピュアである。 2007年 02月 04日
おだやかにせいせいと世離れしているようで、続けていくべきてしごと、変わらない積み重ねが価値をうむ日常、大切なひとは誰なのか?とかあせったりもしている。まわりのひと、完成時にはみえなくなる余白を意識していねいに扱うひとたちを好ましくながめ、自分にひきつけてみつづけている主人公は、まだまだ成長途中の子供のようで、みずみずしい。小難しい文章に比してすっとした読後感。ヒューマンスケールな。
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